速報 (2023.11.17): 創価学会の池田大作名誉会長が死去 95歳。これから応報を手に入れると詳しくお伝えします。
創価学会の最高指導者として、彼は日本に存在する宗教的・政治的指導者の中でも最も有力だ。ゴルバチョフと親しかったネルソン・マンデラと友好関係を持ち、日本の首相選出に協力した黒幕。彼は世界を駆け回る平和大使だった。
しかし、2010年5月以来、彼は自宅から出たことがないようだ。彼の行方と健康状態について知っているのは側近のみだ。彼は、サイエントロジーのカリスマ的指導者で死亡後10年以上過ぎてから亡くなったことが宗教団体に発表されたL・ロン・ハバードといろんな意味で似ている。
「池田氏はどこ?」と尋ねることでさえタブーだ。それについて日本のメディアは、J -Popの天皇ジャニー喜多川が自身のタレント会社に所属する少年に性的被害を与えた長い歴史を避けたと同様にタブーだ。
でも、なぜ創価学会は誤解を解かないのか?現在の池田氏の写真や音声だけでも十分ではないのか。
もしくは、Unseen Japanとの5分インタビューでも?
英語版の記事はジェイク・アデルスティーンとヒマリ・シーマンズより。カバー・アートはillumiknobiより。
文中で敬称略です。本来つけるべき敬称を省略させていただくことをお許し下さい

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池田氏:創価学会の過去と未来の会長?
池田氏は、1928年2月2日に東京で海苔製造業を営む8人兄弟の家族に生まれた。
彼は今年95歳を迎える。もちろん、それは生きていればの話だ。彼は、有力な仏教系団体創価学会の偉大な指導者であり、重要な政党の公明党の事実上創設者でもある。池田氏は世界中の多くの人々から指導者と精神的導師として尊敬されている。
だが、中には彼を冷酷な誇大妄想狂者と呼ぶ人もいる。
2013年に創価学会の元幹部がまとめた体験集『サヨナラ 私の池田大作』が出版された。そこには、元幹部は、池田氏の性格描写をナルシストで権力欲旺盛であると書いている。著書には次のように書かれている:
昭和三十五年、池田大作は32歳の若さで創価学会第三代会長に就任、昭和四十年頃、池田氏は、評論家の高瀬広居氏のインタビューに応え「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」と発言しており、極めつけの慢心状態にあったといえます。
池田氏が行方不明に
創価学会の複数指導者が2016年の夏に池田氏を目にしたと主張する一方、池田氏が公の場で姿が確認された最後は2010年の5月だ。しかし、行方不明になる何年も前から起こり得る痛烈な取材を避けていた。
1994年に元創価学会副理事長・元顧問弁護士の山崎正友が書いた暴露本が出版された。著書は、池田氏と創価学会が利己的な目標達成のために政治家に賄賂を渡したり、敵を黙らせるためにヤクザの手を借りたりするなどしていると告発。これらの告発に対して池田氏は完全に回答したことはない。
十数年後、池田氏は公から姿を消した2010年5月の同月に、指定暴力団山口組後藤組の元組長である後藤忠政が物議を醸したベストセラーの自伝『憚りながら』を出した。著書では、創価学会と公明党のために敵対団体を威嚇するなど、手を汚す仕事をしたと公然に自慢し、驚くべき告発を敢行した。彼は池田氏に対して格別厳しい意見を述べている。著書の中に書かれている告発は山崎氏が1994年に書いたものと一致している。ヤクザによる暴露本が池田氏を引きこもりにさせたのかは誰にもわからないが、奇妙な偶然ではある。
池田氏は生きているのか?亡くなっているのか?“健康で本を書いている”のか?精神的疾患を抱えているのか?もしくは、生命維持装置に繋げられて誰どもコミュニケーションが取れない状態であるのか?その事実は日本でも最も守り隠されている秘密だ。
この記事作成にあたり、彼の取材依頼を申し込んだ。案の定、その依頼は承諾されなかった。
現時点で池田氏が公の場に姿を現してから13年以上経つ。その間、彼が創設した団体と政党は次第に綻びてきた。池田氏が支持した平和主義、社会保障、非核化などの主要問題をめぐって意見の不一致が生じている。
そんな論争の中、池田氏からの一言で内部対立が解決されるはずだが、彼は黙然としている。元創価学会の会員が言うように、「唯一説明がつく結論というのは、彼が意思表示できないからしないということだ。彼は亡くなっているか、能力が喪失しているか、まともな話ができないのか、のどれかだ。」

創価学会:善・悪・醜怪

池田氏がどうして有力である(であった?)のかを理解するには、創価学会の背景とその政治団体の創価学会に注目するといい。
創価学会は20世紀の初期に日本で始まった宗教活動。その名の意味には、「価値を創り出す社会」がある。1930年に創設され、法華経が仏教界の経典で最も神聖なものとする日蓮仏教に信奉する。教育者牧口常三郎と彼に師事した。創価学会は、牧口常三郎氏と戸田城聖氏のリーダーシップの下、日蓮仏教の教えを通じて個人の幸福と社会の変革を追求してきた。しかし、第二次世界大戦中、国教とされていた神道を批判したことから日本政府の制裁を受け、1944年には牧口氏が収監され、その後亡くなった。
戦後、戸田氏の指導のもとで、創価学会は再結成を果たし、会員数を増やし続けた。特に「人間改革」の理念を中心に、個人の信念と幸福追求への取り組みが強化された。これにより、創価学会の宗教活動は国内で急速に広がった。
その主要な宗教活動として、「南無妙法蓮華経」の題目を唱える実践や、日常の瞑想、法華経の学習、そして社会貢献活動が挙げられる。しかし、その歴史を通じて、創価学会は多くの論争も経験してきた。
賞賛と物議
創価学会は信者に高額な献金を払わせたり、外部の人に圧力をかけて入信させたり、団体の「敵」を無慈悲に攻撃したりなどで告発を受けている。元会員によると、池田氏の「神格化」が創価学会の核心的な概念と日蓮仏教の教えを歪ませている。これらの理由から、創価学会を日本の仏教宗派より仏教カルトとしてみなす人もいる。
戸田氏の若い弟子だった池田氏は、創価学会の指導権を1960年の5月に握った。池田氏は団体のグローバルな拡大に大きく貢献し、国際的な存在にまで立ち上げた。彼は平和、文化、教育の信念に重点を置き、平和・交流・人道的活動の普及に尽くす世界にまたがる信者のネットワーク形成に向けて努力した。
創価学会が過去と現在にも意味深い慈善活動を行なっているのは誰も否定できない。

公明党の誕生
ただし、池田氏は創価学会と自信を政治的権力に発展させる意図を持っていた。1964年の11月、彼と創価学会の主要メンバーは共に公明党を創設した。初期の党は党名の英訳を「Clean Government Party」(清楚な政党)とした。
創設者らは、日本における無垢な政府、浸透性、社会福祉を達成する政党作りを目指した。これらの信念は、初期の公明党を日本共産党と並行して遊説できるきっかけとなった。1971年には、マルクス主義の美濃部亮吉の東京都知事への再選に公明党は重要な貢献をした。
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公式には創価学会と公明党は区別されている。しかし、日本政治の専門家マイケル・チュチェック教授から「日本の政治101:創価学会」の動画の中で説明があるように、2つの団体は根本的に同じなのだ。
チュチェック氏は創価学会の権力と行方不明の指導者の件によって直面している存亡の危機について話している(分かりやすさのために編集されている):
創価学会に属している会員は800万人の日本人と言われている。よって、創価学会は最も大きい宗教団体であり、宗教的に選挙の投票に参加していることになる。子供の数も含めれば、創価学会には1000万人のメンバー、または、日本の人口の12分の1が属していることになる。よく考えると、この膨大な集まりには、神秘的で姿を見せない、しかも死を免れない、後継者を必要とする指導者がいる。それから、常にあるのは、背景で響いている鼓動:彼が亡くなった時はどうなるのか?彼が亡くなった時はどうなるのか?しかも、公開されていないだけで、彼はもうすでに亡くなっているのかもしれない。
創価学会の政治的権力
公明党は1999年に自由民主党と連立政権を組んだ。その連立政権で結ばれることにより、公明党は日本の事実上の一党独裁制の民主主義において大きな役割を果たしてきた。公明党は、元総理大臣安倍晋三が掲げた軍事主義・国家主義の目標と、「平和主義」、「国民主権」、「基本的人権」を憲法から排除する意向を持つ極右な自由民主党の歯止めとなってきた。
公明党と創価学会は大多数を占めているとは言えない。ただし、投票率が50%以下の日本では、宗教的に投票する団体というのは、選挙活動を左右させられる。
自由民主党は連立する公明党の持つ権力を承知している。公明党と創価学会は自由民主党の政治活動に不可欠な存在と長年かけて成立した。自由民主党は、宗教的信者が確実に投票を入れてくれるのを学んだ。よって、安倍晋三の暗殺後から自由民主党が統一教会と関係を持っている情報が次々と明らかになってきたのは驚くべきことではない。
ただし、池田氏と韓鶴子牧師には大きな違いがある。池田氏については、少なくとも、日本社会にプラスな貢献をしてきたと言える。
『現代の日本:80年代以降の歴史・政治・社会の変化』の著者ジェフ・キングストン教授は次のように述べる:
池田氏は創価学会インタナショナル、つまり、公明党の基盤・自由民主党の連立政権を創設するのに重要だ。公明党は自由民主党の政策に抑圧をかける影響を与えて、安倍首相を2015年の法改正におけるガイドラインの範囲以内に自衛活動を収めるように強制させた。公明党は、戦争反対を示す憲法9条改正への反対勢力として大きな影響を与えてきた。安倍氏はスキャンダルに追われる中で起きた2020年の辞任の際、憲法9条改正の失敗が一番の後悔だと表現した。全体として、池田氏の一番の遺産は彼の平和活動と教育主導だ。
直接アプローチ
4つの団体のうち3つが我々の取材依頼書の受け取りを断った。アデルスティーンとシーマンズは公明新聞にだけ依頼書を手渡しすることができた。
創価学会と聖教新聞はカフカエスクな対応をとった。2つの団体は我々の記者2人にアポ取り電話をするようにお願いした。その場にいて、口で依頼を伝えていても、そのアポ取りは許されなかった。
少なくともシーマンズ記者は黄金プレートに池田氏が2019年に書いたと言われている聖教新聞の紹介文の写真を撮ってから帰りたかった。何枚かの写真を撮ると、警備員がやってきて記者2人を会員書がない理由で敷地から追い出した。
最も対応が冷たかったのは公明党。従業員の代表者が我々の記者を外で迎えたが、帰ってほしい気持ちは明らかだった。男性従業員は記者らの名刺を受け取ったが、終始堂々と睨みつけた。彼は自己紹介もなく、名詞も提示しなかったが、「次回はアポを取ってください」と警告するのみ。彼は確かに忙しそうだった。
池田氏は捕まえるのが難しい男
我々の特別捜査班は池田氏との取材計画に失敗した初めてのケースではない。これは、成功するのに長くて厳しい道のりだ。
週刊文春の2011年の10/27号は、池田氏が脳梗塞で入院し、新宿南元町の医療機関で治療を受けているという衝撃スクープを掲載した。記事の証言者は匿名の「看護師A」。脳梗塞は、彼の糖尿病と併せて認知力に影響を与えて、彼は異常な行動を見せていたと言う。
しかし、報道の2ヶ月後に出た2011年の12/29号では、その記事が取り消された。雑誌は、創価学会がそんな看護師が存在しないとの苦情を申し入れたと説明。文春はその後の事実確認ができなかった。雑誌は謝罪した。
雑誌が本当に間違っていたのかと言う疑問は確かにある。「看護師が単に消えたんですよ。証言者がいないことで、私たちは叩かれても自分達の言い分を証明できなかった。もしかしたら看護師は潜伏したのかもしれない。それか、追放されたのかも知れない。」と、雑誌の元レポーターがUnseen Japanに伝えた。
行き止まり
数年後、2013年に池田氏の妻が書いた記事を文春が掲載した。彼女は、ラジオ体操を団体の若者と一緒に行うのが池田氏のルーティンだと述べた。つまり、池田氏が良好な健康状態であると暗示した。
2016年の9月22日に朝日新聞は創価学会理事長の原田稔とのインタビューが許可された。取材者は恐る恐る「池田大作名誉会長は88歳。最近は表立った活動を控えています。体調はいかがですか。」と聞く。
原田氏は、「元気にしておりますよ。執筆活動などに専念しています。」と答えた。
原田氏は池田氏を夏の研修会で見かけたことも付け加えた。
取材者はフォローアップに「重要な判断も可能なのですか。」と聞く。
原田氏は率直に「もちろんです。ただ、数年前からは、基本的に運営は執行部に託し、見守っています。」と返答。
記事から見ると続いての質問はなかったようだ。次いで聞きたくなる「なぜ彼の最近の写真はないのですか?音声はないのですか?動画はありませんか?」などの質問がなかった。
このミステリアスな朝日新聞の現在の会長に対する取材に関しては、事前に全ての質問が提出されて答えも全て用意されていた可能性が最もあり得る。これは日本で普通なのだ。サプライズ質問も、サプライズの答えも無い。皆が自分のセリフを読んで裏合わせするものです。茶番劇です。
国会ではこのやり方が定着しすぎて、そもそも質問が聞かれる前にいわゆる答弁書をメディアに漏らすこともある。ここからの情報を報道するメディアは「答弁書によると…」という書き方も用いる。
劇はまだ終わらない
池田氏の現在の健康状態が未明にされているのは、彼の指導力低下が大きな権力の真空となるからだと元創価学会の人員は推測してきた。創価学会内では公明党が池田氏の平和主義政策に反し、自由民主党と仲良くしすぎているという不満も湧き上がってきた。熱心な元会員天野達志は創価学会が池田氏の誇らしい教えに背いていることを批判し団体からは除名された。その後創価学会が、天野氏をスラップ訴訟で訴えた。
池田氏の現在の健康状態についての重要性がどれほどかは分からないが、創価学会は彼の健康が良好であることを国際的に強調している。日本のメディア、NHKを含む多くの放送局や新聞もこの主張を批判せず報道している。
最近の広島でのG7サミットにおいて、池田氏が提言を行うと創価学会が発表した際、各メディアは疑問を呈することなくこれを取り上げた。
公の場での彼の活動を参考にすると、多くの人々は池田氏が現在も元気であると想像しているかもしれない。特に、彼の名前を冠した多くの文書や提言が、彼自身の手によるものだと信じられている。
一部の元創価学会会員はそれが嘘だと言う。
指導者のゴーストライター
『実名告発 創価学会』は創価学会の幹部を批判したとして本部から追放された元会員らが書いた著書。彼らは、創価学会が平和主義を謳う団体から全く別のものに変貌したとして幹部を告発する。
創価学会による平和への誓約を背景に、著者たちは公明党が日本の自衛隊拡大に賛同したことに対して矛盾を訴えた。彼らの著書は、官僚的で権威主義的な幹部がどのようにして反対意見を潰すのかについて説明した。彼らは日本外国特派員協会で記者会見を開きここから閲覧できる。
著者たちによると、池田氏の著書の大抵が他人によって書かれたものだと訴える。それも、彼の健康状態が良好だった時からもいえるそうだ。ただ、池田氏に代わって書いていたのであれば、それは誠意を持って彼の教えを理解した上で行ったのだと彼らは主張。
しかし近年は違うらしい。本の中で、こう書いている。
私たちが知る限りでも「会合等へのメッセージ」「新・人間革命」「わが友に贈る」「対談集」は、私たちが本部職員であった当時から、師匠が弟子に託している実態があった。師匠の執筆活動や渉外活動、学会員への激励のスケールは桁外れに大きい。師匠はそうした活動を、会員奉仕局、第一庶務局、『聖教』記者、国際室など、100人を超える本部職員を信頼し託していたのだ。たとえ弟子に仕事を託したとしても、そこには厳然と死傷の意思と精神があった。
しかし、今、師匠が物事を判断できず、意思を示せないと思われる状況の中での「代筆」は、師匠の意思も精神も失われているどころか、本部執行部の不正を正当化することになりかねない。それは師匠を利用する以外の何物でもない。
未解決の謎
想像すると違和感が残る。
池田氏がゴーストライターを未だに備えているのは不思議ではない。不思議なのは、ゴーストライターがまさに幽霊に代わって書いているのかどうかは少人数にしか知られていないことだ。
合理的な個人でも報道局でも、創価学会と公明党がかざす陰を恐れなければ聞き難い質問を叩きつけるだろう。生存確認を要求しているはずだ。なぜ未だに池田氏が健康だと演じて、引きこもっている追放先からたまに送られる新書をそのまま掲載するのだろう。
我々は池田氏に自身の状況を解明してほしいと依頼したが現時点では返信が届いていない。
次回へ続く
池田氏はいったいどこにいるの?のPart 2では、さらにもう一つの質問を追求する:なぜ日本メディアは池田氏に関する調査報道をしないのか?
簡単な答えは:恐怖。お金を失う恐怖。お金を稼ぐ機会をなくす恐怖。生死の恐怖。
次回までの間に池田氏をどこかで見かけたらここからSpecialProjects@unseenjapan.com情報提供可能。
記事はUnseen Japan特別取材班より